February 26, 2011

地方分権、地域連合、連邦国家。

究極的に国家がやるべきことは、通貨、外交、国防の3つで、残りは地方政府がやればよい、ということらしいです。要はこの3つが、国家主権そのもの、これらを地方に移管したら地方はもはや地方ではなくて国家になっちゃうから、国がやるべき、というのはそのとおりなのでしょう。

しかしもうひとつ、国か地方かという議論には、規模の問題も無視できないように思うのです。適当な規模の人口というのがあるんじゃないかと思うんですよ。

ヨーロッパはEUという枠組みを作って、通貨はかなりの加盟国がユーロの採用で統一し、外交、国防も協同的に行うよう進んできてます。昨年でしたか、「EU大統領」「EU外務大臣」に相当するポストも正式に創設されましたよね。さらに、ユーロ採用のために必要な国家財政の基準を定めたり、各種の規制も統一したりしていて、産業政策のような、通貨、外交、国防以外の分野でも一部で統一されることになっています。通商関係の紛争処理について共同の裁判機構もあって、司法機能も一部が統一されているように見えます。

これって、結局のところは、EUという規模で行う方がそれぞれの国別で行うよりも効率的だから、ということなんだろうと思いますが、要は国家の主権の一部を国家よりも上部の機構で共有する構造を作っているんだと看做せますよね。

一方で、インド、ロシア、アメリカなどは、州、自治区といった地方政府の自治権の範囲が広い。州がほとんど国のような機能を持ってる。これらの国々は国土が広くて人口も多いし、それぞれの地方には特有の事情もあることだし、住民の日々の生活に密接に関わる行政の仕事は地方政府がやったほうが効率的だろうと判断されているんだと思います。

ヨーロッパは国を積み上げてEUという地域連合を作り、アメリカは国を州に分割している。EUにおいては加盟国が「州」に近い存在になり、アメリカにおいては「州」が国に近い存在になっている。

たぶん、その辺りに「適当な規模の人口」のヒントがありそうです。

通貨、産業規制、国防、広域インフラというのはきっと、「適当な規模の人口」が大きい。逆に、公共サービス、福祉、教育なんていうのは、「適当な規模の人口」がそんなに大きくない。で、電力、利水、通商政策、司法なんかはその中間だったり、内容によって人口規模が大きい方がよかったり、そうでもなかったりするような気がします。

要は、地域連合—国—州—基礎的自治体というスペクトラムの中に、「公」が行うべきこと(通貨、外交、国防、インフラ整備、公共サービス、司法、・・・)をどう当てはめるのかというのが、地方分権の問題であり、地域統合の問題なんでしょう。

*   *   *

一言、アフリカについて。

10億の人口に54の国。アフリカ連合(AU)を筆頭に、西アフリカのECOWAS、南アフリカのSADCなど、一応形式的に地域連合は存在するんだけど、ろくに機能していない。国家主権にばかりこだわっていたり国内に内紛を抱えていたりで地域連合の協議なんかできそうもない国や、「あんな国と連携してもろくなことない」と誰もが思う問題国家ばかりですからね。

開発がなかなかすっきりと離陸しないの理由の一部は、ひとつひとつの国が小さくて非効率なのに、地域連合や連携協議を通じて効率的なガバナンスを追求することができない、ということにも求められるかもしれません。まあ、それも植民地支配の残滓と言われれば、そうかもしれませんが。

February 20, 2011

ランダム再生で音楽を聴く。

今日は算数の話。

twitterでフォローしている人が、「1曲の長さが5分の曲がライブラリに1000曲あるとして、ランダム再生で一度も再生されてない曲数が10曲以下になるまで何時間かかる?」というつぶやきを流したんですよね。

私もiPodでランダム再生で毎日音楽聴いてて、なんか同じ曲が何度も出てくるような気がするし、ぜんぜん出てこない曲もあるような気がするし、いったいホントにランダムなんだろうか、どれくらい聞いてればiPodに入ってる全曲を聴けるんだろうか、と思っていたところなので、この際マジメにこの問いを解いてみることにしたんですよ。幸い、私のiPodの中に入ってる曲も約1000曲だし。

で、せっかく解いたので、私の解法をメモっておきます。間違ってたらごめんなさい。

*   *   *

簡略化のため、まず、10曲ライブラリをランダム再生して、9曲演奏されてしまうまでに何回再生すべきか、で考えてみる。

10曲を普通にn回ランダム再生した場合のパターンの数:10^n
10曲から9曲を選んでn回ランダム再生するパターンの数:C(10,9)*9^n

で、10^n > C(10,9)*9^n になるnを求めればいい。メンドクサイので等式にして10^n = C(10,9)*9^nをnについて解く。

C(10, 9)=10なので、

(中略)

n=1/(1-log9)=21.85...

まあ、確率的には22回再生すれば9曲は出現する可能性が高い、ということになるのか。

で、これを「X曲のライブラリをランダム再生して、Y曲聴き終わるためにはn回再生する必要がある。」と一般化すると、

n=log(C(X,Y))/(logX-logY)

1000曲のライブラリで990曲聴き終わるためには、

n=log(C(1000,990))/(log1000-log990)=5365.79...

(ちなみに、C(X,Y)=X!/(Y!*(X-Y)!) )

ということで、5366回くらい再生すれば、990曲は聴けると。
1曲5分とすれば、5分×5366=約18.63日。

ちなみに、1000曲全部聴こうと思ったら、要は999曲以上聴く、と考えればよいので、

n=log(C(1000,999))/(log1000-log999)=6904.3...

5分×6904.3...=23.97...日

連続24日間くらい聴いてれば、全曲聴ける可能性が高くなるんだね。そんなもんか。

・・・って、1000曲聴きたいのならば、ランダム再生せず素直に頭から順番にシークエンス再生すれば、1曲5分ならば1000曲は5000分、約3.472日あれば全部聴けるんですけどね。

February 12, 2011

エジプト雑感。

エジプトの「革命」とイラン革命、そして日本の建国記念日はどれも2月11日ということになりました。覚えやすそうですね。

こないだ「アラブ世界での開発独裁の終わり」というエントリを書いたところですが、ついにムバラク大統領が辞任。時代の流れを変えるこれだけの大事件だし、エジプトは出張で昔ちょっと行っただけでアラブ専門家でもなんでもない私がなにかエラそうなことを言えるわけではないにしても、気付いたことは書いておこうと思います。

*   *   *

1.
「群衆」というものは、ひとりひとりの人間を足し上げたものとは違う、ひとつの生命体のように動くらしいです。「群衆」というのは、なんらかの目的をもって集まった大勢の人間のことで、新宿や渋谷の人混みは、あれは「人混み」であって「群衆」ではないと区別できると思うのですが、ひとたび何らかの目的が与えられれば「群衆」になりうるだけの人間の数だけはいる、という状態です。

(ちなみに、英語では「mob」と「crowd」という単語で区別されるんですけど、mobには暴徒というニュアンスがあるよね。)

他方、カイロのタハリール広場に集まった人々は「群衆」。目的は現政権の退陣、象徴的存在であるムバラクの辞任。分かりやすい目的を持った「群衆」です。

そして、「群衆」を鎮めるための対処方法は2つ。ひとつは、徹底的に力で潰すこと。もうひとつは「目的」を達成させること。

エジプトはこれまで、「群衆」になりそうな芽は徹底的に摘み、「群衆」化した集団は力で潰すという方法を採用してきたんですけど、今回の「革命」は潰すに潰せない規模とエネルギーを持っていた。エジプトにおいては(というか、諸外国ではよくある様態ですが)、軍が政権から一定程度独立した権威を持っていて、その軍が「群衆」を潰すという役割を否定したんですよね。積極的にムバラク政権を追い落としはしないけど、「群衆」を抑える役割も断った。思えばこの時点で、政権の命運は尽きていたのかもしれません。

となると、ムバラク大統領側にとっては、時間を稼いで「群衆」という生命体が弱るのを待つしかなかったんだと思いますが、今回生まれた「群衆」の生命力は時間が経てば弱るというほど生易しくはなかったし、力で潰す、という選択肢が塞がれた以上は、もはや遅かれ早かれ「目的」を達成させるしか「群衆」を鎮める方法はなくなっていたんですよね。

ムバラク大統領が即時退任するまでこの騒ぎは収まらない、というのはみんな気付いていたでしょう?

2.
アラブ、中東世界の大国・エジプトの政権がこういう形で崩壊した、というのは東西冷戦構造の崩壊と同じくらいインパクトのある出来事だと思うんですけどね。アメリカはこれまで、片方で民主主義の伝道師を自ら任じその布教を進める一方で、アメリカにとって都合のよい政権はたとえそれが民主主義の観点から胡散臭くてもたっぷり資金を与えて支援してきた(で、痛い目に遭ってきた)。

今回、このアメリカ外交の本音/建前の構造の象徴的な崩壊だと思うんですよ。イラクやアフガニスタンで既にアメリカは痛い目に遭っていたわけですけど、ついに、アメリカにとってそれこそ中核的利益であるイスラエルの存在と密接に関係するところで、その二枚舌外交が使えなくなった。

新しい秩序ができて落ち着くまでしばらくはゴタゴタすると思う。ムバラクがいなくなったからとって、急にエジプト市民の生活がよくなるわけでもないし、革命後のユーフォリアが冷めた後にはまた一悶着ある可能性も高いと思う。中東/イスラエル問題の再定義も必要になるし、しばらくは不安定化する可能性もあるでしょう。まあでも、国際政治のいびつな構造のひとつが整理されてまっすぐになった、っていう気もするし、基本的には今回のエジプトの事件は喜ばしいことだと思うんですよね。

3.
twitterで流れていて知ったんですけど、こんだけの出来事なのに、日本のテレビ局はエジプト情勢を中継したところがなかったんですって? もう日本のテレビに期待もしない、と思っていたけど、それにしてもひどいなと。ホントにどこも中継してなかったの?

日本は鎖国してるわけじゃなくて、むしろグローバル経済に一番どっぷり浸かって、その中に生きている国ですよ。たしかにエジプトは遠いかもしれないけど、自国の生存環境である国際社会、グローバル経済の重要な変化が今起きているというのに、それに関心を余り示さなかったって・・・。

北海道の記者さんがtwitterでつぶやいてたんんですけど、「こっちは日本に住んでるんだ。エジプトのことばっかり伝えるな。」という苦情が入ったそう。

大丈夫か、日本。
海外に住んでると、なおのこと日本の内向き加減、危機感のなさ、戦略の欠如が心配になるんですけど。

February 06, 2011

ヨーロッパの裏庭、アフリカの話。

南部アフリカ地域では、御年92歳のネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の検査入院が長引いたことなどをとらえて、健康状態を心配する声が広がっているところです。

言わずと知れた南アフリカ黒人解放の最大の功労者、27年の収監を耐えて南アフリカ共和国で黒人初の大統領になり、アパルトヘイト政策を終わらせた人ですが、不謹慎だとは思うんですけど、そういう方がまだ存命であることにある種の驚きを感じませんか? 制度的な人種差別が人道に反するなんて当たり前だと思っているし、そんなものとうの昔に廃止されていていいような気がしますけど、南アフリカで全人種参加の総選挙が行われてマンデラ氏が大統領の就任したのは1994年のこと。歴史というにはまだ日が浅過ぎる、最近の出来事なんですよね。

英領南ローデシアの首相、イアン・スミスが、白人による統治を掲げて英国から一方的に独立しローデシア共和国を建てたのが1965年。そのローデシア共和国が解消され、黒人政権のジンバブエ共和国が成立したのは1980年。私が小学生の頃の話。そして初代ジンバブエ首相のロバート・ムガベは御年87歳(2011年2月)にして現在もジンバブエの大統領として君臨。まだ歴史でもなんでもなくて、現在進行形の政治です。

南部アフリカ地域で一番新しいナミビア共和国に至っては独立は1990年。第一次世界大戦後にドイツ領から南アフリカ連邦(当時)領に変わっても、つい最近までずっと人種隔離政策が続いていたんですよね。

*   *   *

ポルトガル人が西アフリカ(現在のガーナ)に欧州勢として始めて砦を築いたのが1482年。同じくポルトガル人のバルトロメオ・ディアスが喜望峰に到達したのが1488年。これもポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回るインド航路を開拓したのが1498年〜99年頃。このあたりは世界史の教科書に出てくる話で、これ以降、欧州列強は南部アフリカに進出しインド貿易の航路として活用したほか、アフリカから金、象牙、奴隷、コーヒーなどを本国に輸入し、植民地としての開拓を進めます。オランダ東インド会社がケープ植民地(現・南アフリカ共和国のケープタウン)を成立させたのは17世紀のことです。

やがて欧州では産業革命が起きる(18世紀〜19世紀)。政治も領主様や国王陛下が直接統治する封建国家から、議会制民主主義、立憲君主制といった、今風の近代国家に脱皮して行きました。ポルトガルやスペインに変わって、いち早く産業革命を成し遂げたイギリス、革命を経て近代国家として歩み始めていたフランスなどがアフリカの植民地経営に精を出し、19世紀中には南アフリカでも鉄道が走るようになっていました。

・・・と、こうして見ると、ヨーロッパのアフリカ進出は世界史の授業のような昔話に聞こえますけど、ヨーロッパ人のアフリカ入植はずっと時代が下って、ごく最近まで続いていました。第二次世界大戦後に農場経営のための土地を求めて入植した人たちもいます。比較的新しく入植した人たちは別に黒人の土地を奪って開拓したわけではなく、通常の土地取引で農地を購入して入植しているんですけどね。スイスでは農家の次男、三男が南部アフリカに行って農地を開拓し、一旗揚げたらスイス本国で「お嫁さん募集」の広告を出すというのがよく見られた、という時期もあったそうです。あるいはナチス・ドイツの圧政を逃れて南部アフリカに新天地を求めたユダヤ人も少なくないし、貿易や欧州人のコミュニティのための様々なビジネスの機会もあって、最近になってアフリカまで商売を広げた人々も多い。

南部アフリカでは、今でもオランダ人、イギリス人、スイス人、ドイツ人などが経営する農場が数多くあります。(フランスは西アフリカ、北アフリカに植民地が多く、南部には少ない。)あるいは流通小売の業界にギリシャ系、ポルトガル系の人が多かったりする。もちろん、ヨーロッパ人ではないけど歴史的経緯からインド人も多いですけどね。そういえば、インド独立の父ガンジーは、、若い頃南アフリカで弁護士稼業をやっていて、人種差別に対する悩みを深めたといいます。

(ちなみに、日本が南アフリカのケープに最初に総領事館を開いたのは1910年、去年100周年でしたよ。まめ知識。)

*   *   *

15世紀以来、連綿と続いたヨーロッパとアフリカの歴史的関係の最先端に、マンデラ元大統領がいて、ムガベ大統領がいる。「インド航路」だの「植民地開拓」だのって、歴史の教科書の上のお話として聞いてしまいがちですけど、今もアフリカの地には、その歴史の上に出来上がった社会があるんですよね。植民地時代がどっかでプツッと終わって現代のアフリカになったわけではなくて、前の出来事に新しい出来事を塗り重ねて、塗り重ねて今がある。

*   *   *

それで、15世紀以降のアフリカとヨーロッパの歴史をダラダラ書いて、もうひとつ何が言いたかったかと言いますと、日本から見るアフリカと、ヨーロッパから見るアフリカは決定的に違う、ということなんです。当たり前ですけど。

ヨーロッパにとってのアフリカの出来事は、裏庭での出来事。まして、今でもヨーロッパ人がたくさんアフリカに住んでいて、その人たちがヨーロッパの本国の国籍、市民権を持っている場合も少なくない。ヨーロッパの人にとって、アフリカの出来事が他人事じゃないでんすよね。アフリカに対して当事者感覚を持っている。

日本から見ると、「人道上支援しなくては」「豊かな資源を開発しよう」「グローバル化社会の一員として尊重せねば」「世界の安定・経済成長に重要だ」・・・といったお題目でアフリカをとらえがちなんですけど、ヨーロッパにとっては、たとえもう植民地ではなくなったとしても、どこかまだ身内の出来事という感覚があるように見える。

不謹慎なたとえかもしれないですけど、言ってみれば、ヨーロッパ諸国にとってアフリカ諸国は、日本にとっては国家として独立してしまった北海道のような感じなのではないかと思いますよ。アイヌ・ウタリ共和国(1965年独立)みたいな感じで。それで、東京とアイヌ・ウタリ共和国の関係が順調であればそれはそれでいいんでしょうが、もしもアイヌ・ウタリ共和国が汚職まみれの独裁国家になっちゃったり、本州人が拓いた農地を国有化する政策を推し進めたり、中国から武器を密輸したりしていたら・・・。ヨーロッパのアフリカに対する危機感は、それに近いような気がしますよ。